オーストリア(ハルシュタット)2002 前編

オーストリア(ハルシュタット)2002 前編

2001年以降、毎年参加している、ドイツで開催される

「ユーロバイク」終了後の、旅のお話です。
今回は、この「ユーロバイク終了後の旅」の、始まりとなった、2002年に行ったオーストリアの街、「ハルシュタット」について、お話します。

前年、初めて「ユーロバイク」と「ミラノショー」に、Pacific Cycles 社のブースから出展をした私でしたが、初めての海外ショー出展という事もあり、8月末の「ユーロバイク」後、一度帰国して、9月中旬の「ミラノショー」に再度渡航しました。
起業後、間もなかったため、それなりに日本での予定が詰まっていたこともありましたが、当時、航空券だけでも一回20万円近く掛かったことから、翌2002年はそのまま居残り、8月末からの「ユーロバイク」から、9月23日終了のミラノショーまで、ヨーロッパに一ヶ月程滞在する計画です。
前年参加を見送った、「ケルンショー」にも参加する事にして、「ユーロバイク」終了後、9月12日から開催の「ケルンショー」までの、約10日間を使って、周辺の国を気まま旅という訳です。

何処へいこう?

ユーロバイク期間中の宿は、前年同様フリードリヒスハーフェンのツーリストインフォメーションに事前にメールして、会場から徒歩で行ける宿を抑え、成田-フランクフルト、ミラノ-成田の往復分航空券だけを購入して出発です。

タルタルーガ自転車ハルシュタット一ヶ月の滞在とは言え、フリータイムは「ユーロバイク」終了後の10日間程です。
今回は、隣国のオーストリアに行ってみる事を決め、成田空港で「るるぶ オーストリア」を購入して、ドイツ行きの飛行機に乗り込みました。
この時点では、オーストリアでの行先は、全く決めていません。
フランクフルトへ向かう機内で、「るるぶ オーストリア」をパラパラとめくっていると、とんでも無く美しい景色の写真が、目に飛び込みました。
「なんだこれ、こんな綺麗な景色の場所があるのか!」と、その画像にくぎ付けとなった私は、その画像の街「ハルシュタット」を、「この目で見てみたい!」との単純な理由で、今回の行先に決めました。

中継地はミュンヘン

この年のユーロバイクでは、前出の「RIVIVE」の展示や、Type Fの改良試作の打合せなど、仕事としても内容の濃いものでした。

無事、「ユーロバイク」を終え、Pacific 社のメンバーと別れた私は、電車でハルシュタットを目指すことにしました。
今ほど、ネット環境も整っていない時代だったので、とりあえず、フリードリヒスハーフェン駅から、最寄りの大都市「ミュンヘン駅」へ移動して、駅で列車の予定を確認する事にしました。
ミュンヘン駅に着くと、流石は大きな駅だけあって、インフォメーションの横に、近隣の街行きの時刻表が用意されていて、調べると、その日の明るいうちに、ハルシュタットへ到着する事は難しい事がわかりました。
そこで、その日はミュンヘンに一泊する事を決め、駅前のツーリストインフォメーションに駆け込み、予算を伝えて、その日の宿を確保しました。

運よく、ミュンヘン中央駅から、トラムで15分ほどの場所にある、安宿がみつかり、そのまま宿へと向かいました。
トラムに乗って到着した宿は、意外にも綺麗でまだ新しい、デザインホテルでした。

タルタルーガ自転車ハルシュタット中々快適な宿だったことから、翌朝チェックアウトの際に、ハルシュタットからケルンへ向かう中継地にも、このホテルを使う事を決め、2泊分の予約を入れ、ミュンヘン中央駅へと向かいました。

ハルシュタットへ

タルタルーガ自転車ハルシュタットミュンヘン中央駅から、ハルシュタットへは、途中ザルツブルグ、バート・イシュルで2回乗継を挟んで、5時間ほどの列車旅でした。
到着した駅は無人駅で、駅から少し慣れたところに、渡し船の乗り場があり、そこから小さな渡し船で「ハルシュタット湖」を渡った対岸に、目的の街があります。
渡し船で到着した街は、後から知ることになるのですが、世界遺産にも登録された、「世界で最も美しい湖畔の街」と呼ばれる、絵に描いたような美しい景観の街でした。

つづく