ポルトガル 2011(リスボン)前編

今回は、2011年のユーロバイク後に行ったポルトガル

のお話です。
既に、ユーロバイクへの出展も10年目となり、ショー出展に合わせての近隣エリアへ行く「情報収集」も、近隣の国には一通り行き、「今年は何処へ行こう?」となっていたタイミングでした。
この頃のユーロバイク出張は、フランクフルトへ飛び、ダルムシュタットに住むステインの部屋を、ハブにして会場へ向かい、ショー終了後もダルムシュタットへ戻っていました。
その前年の帰国前に、たまたま行った、ステインの部屋の近くにある、ポルトガル料理レストランで、シンプルな味付けなのに、かなり美味いその料理と、初めて飲んだポルトガルワインの味に魅かれたのが、きっかけでした。

リスボンへ

この年のユーロバイク出張は、イベントが目白押しでした。
ステインが、私の知合いの日本人女性と結婚する事になり、ベルギーの実家で行った結婚式に招待されました。
その為、例年よりも3日程前にヨーロッパ入りして、ベルギーへ向かい結婚式に参加した後、ステイン達とユーロバイクへ向かい、ショー終了後にダルムシュタットへ皆で戻り、翌日一人、エールフランスの格安チケットで、フランクフルトからパリ経由で、ポルトガルのリスボンへ向かいました。
今回は、リスボンだけに4日間の滞在です。
リスボン空港から、バスと地下鉄を乗継ぎ、ネット予約してあった、リスボン郊外のホテルにチェックインをすませると、既に夕方4時位でした。
夕食にはまだ早かったので、地下鉄で、街の中心へと出かけてみることに。

リスボンの第一印象

ホテル近くの駅から、地下鉄に揺られること15分程で、リスボンの中心部に到着します。
地下から地上へと出て来た私が目にした光景は、今でもハッキリと記憶しています。
夕暮れ間近の、オレンジ色の太陽の光に包まれた、コントラストの強い街の中を人々が行き交い、そんな人混みを縫うように、とても年期の入った、レトロな黄色いトラム(路面電車)が、コトコトと走る、まるで宮崎駿の映画を彷彿させるその風景は、一瞬で気に入りました。
「ポルトガル、来て良かったかも!」

日本との繋がり

ポルトガルは、大航海時代には、スペインと共に、世界の覇権を争った大国でした。
戦国時代だった当時の日本とも、深い関わりを持ち、鉄砲やキリスト教を含む、いわゆる「南蛮」文化を日本にもたらし、その後の日本の歴史にも大きく影響する事になります。
リスボンの海外沿いには、「発見のモニュメント」と呼ばれる巨大なコンクリート製の記念碑があり、あの「フランシスコ・ザビエル」の像も含まれています。
記念碑前の石畳には、多くのポルトガル人航海者が辿った航路を示す、巨大な世界地図のモザイクがあり、1541年にポルトガルにより「発見」されたとされる「日本」も記載されています。

ポルトガル料理

今回の旅の切っ掛けにもなったポルトガル料理は、ドイツで食べた印象とは、若干異なりました。
特にリスボンは、立地的にシーフードがメインでしたが、基本的に炭火焼きか、塩茹でした物が多く、素材そのものの味を楽しむ感じで、オリーブオイル、ビネガーなどを、お好みでかけていただくため、ポルトガルならではの味という感覚は、あまり得られませんでした。
「醤油」があれば、どれも美味しくなりそうですが、それだと日本の定食屋と変わらなくなってしまいますからね。
「南蛮漬け」といえば、それまでですが・・・

つづく