ライアン・キャロル

2001年に台湾のPacific Cycles 社にて、弊社製品を

生産するようになって以降、Pacific Cycles 社の出展するブースに、ジョイントするという形で出展を始めた、海外で開催される、国際的な自転車展会場での出会いや、生産立ち合いの工場内での出会いなどを通じて、多くの外国人の友人ができました。

中でも、Astrixの代表兼デザイナーの「ライアン・キャロル」と、r&mのデザイナーだった「ステイン・デフェルム」は、その後、大の親友となり、今でも家族ぐるみのお付き合いをしています。
今回は、「ライアン・キャロル」の話をしたいと思います。

インターバイク 2002

彼と初めて会ったのは、2002年10月に、ラスベガスで開催された「インターバイク」の会場でした。
インターバイクが終了し、ブース撤去と梱包を終えた私に、「今回は、展示車両の搬出と台湾への発送を、Astrix社の‘ライアン’がやってくれるから、彼のブースに運んでくれ。」と、ジョージさんから指示があり、彼のブースに車両を運んだ際に、初めて会いました。
コロラド州デンバー出身の彼は、私と同様、代表兼デザイナーという立場で、Astrixという、ダウンヒルバイクのブランドを立ち上げ、商品のデザイン、設計を自ら行い、2002年からPacific Cycles 社で生産を開始したばかりでした。
自国開催のインターバイクには、コロラドから友人二人と大型バンを運転してきて、小さな独自ブースを出展していました。

東京国際自転車展 2002 後の東京観光

他国での私と同様、この年の東京国際自転車展に出展した、Pacific Cycles 社のブースにジョイントして、Astrixブランド商品を出展した彼と再会します。
日本へ来たのは初めてで、ショー終了翌日の夜便で帰国する事を知り、「じゃあ、俺が案内するから、浅草でも観光していきなよ。」と声を掛け、翌日お台場のホテルへ迎えに行き、半日ほど東京観光に付き合いました。
インターバイクで、商品搬出や出荷をしてもらった事への、お礼のつもりでした。
ショーの期間中、ずっとお台場で過ごしていた彼には、いかにも日本的な浅草は、とても楽しかったようで、すごく喜んでもらえました。
この半日の浅草観光を機に、とても仲良くなりました。

略歴

大学で機械工学を学んだ彼は、地元のスキーブランドで、モノコックタイプのスキー板のデザイン、設計を担当する傍ら、趣味のダウンヒルバイクにおける、サスペンションとフレームのリンク機構に強い興味を持ち、サスペンションの性能を、最も有効的に引き出せる、フレーム設計に注力し、独自のリンク構造「MOTOLINK」を考案。
この構造を搭載したバイクブランド、Astrixを立ち上げます。
その設計を携え、Pacific Cycles 社を訪れ、量産化を果たしました。

後に、台湾に移り住み、Pacific Cycles 社のチーフエンジニアに就任した際には、大手自転車企業が数年の時を掛けてもなお、実現不可能とサジを投げた、マーク・サンダースのIFに関するアイデアを、見事に量産設計に落とし込んだ手腕は、当時、高く評価されました。

Pacific Cycles 社を退社後、現在は、台湾中部の台中に自身のオフィスを構え、複数のヨーロッパ著名ブランドの、ダウンヒルバイクのデザイン、設計を担当しています。

英会話

実は、かなりのSFオタクの彼とは、何かと話が合い、色々な話題で盛り上がりました。
知り合った当初、あまり英会話がうまくなった私に対して、マシンガントークで話しかけてくる、他の多くのアメリカ人と異なり、スピードを少し落とした、聞き取りやすいクリアーな英語で話してくれ、私の英会話上達に、大きく貢献してくれました。
様々な国で開催される、国際自転車展や、市場調査を兼ねた海外出張にも、一緒に出掛ける様になり、コロラドにある彼の実家にも、一緒に行ったニューヨーク出張の帰りに、寄らせてもらったりもしました。

SolidWorksの師匠

とても複雑で緻密な計算が必要な、高度な機構設計を、様々な手法を駆使して、こなしていく彼の仕事スタイルには、一目も二目も置いています。
SolidWorks (3D CAD)にも、その黎明期から精通していて、彼から基本的な使い方を、教えてもらいました。
今でも、機械設計に関して細かな質問をすると、懇切丁寧に回答してくれる為、業務的にとても助かっています。