Pacific HOTEL

Pacific HOTEL

かつて、仲間うちから「Pacific HOTEL」と呼ばれた

施設が、台湾にありました。
数年ほど前に、様々な事情から、惜しまれながらも、クローズとなってしまいましたが、
今回は、この「Pacific HOTEL」に関するお話です。

弊社E-VEHICLE Tartaruga シリーズの生産を委託している、台湾のPacific Cycles 社は、自社ブランド商品以外にも、ドイツのr&mやHPV、カナダのBansheeなど、世界中の著名ブランドのOEMも手掛ける、自転車業界屈指の生産工場です。
特に、他の生産工場が手を出したがらない、複雑な構造の商品や、前例のない革新的な商品の開発に特化する傾向が強く、その特徴が、広く世界中の自転車業界に知れ渡っており、私も様々な場面で、実際に目にしてきましたが、その噂を聞きつけた、自分達のアイデアを製品化したいデザイナーや企業が、開発と製作の依頼に、世界中から訪ねてきます。

タルタルーガ自転車PACIFICHOTEL会長のジョージさん(現在は、マイケル社長)に、その商品のプレゼンを行い、「Pacific Cycles 社にて開発を引受けるに値する商品」と判断されると、具体的な開発費と開発期間の話となり、条件が合えば、開発ステージへと進んでいきます。
2001年開催の、東京自転車展に展示した試作車両が、たまたまジョージさんの目に留まり、Pacific社との繋がりができた私も、2003年に企画したType RECUMBENT 開発の際は、同様のプレゼンを行い、開発ステージへと進むことができました。

お金を持たない、デザイナー達の為に

タルタルーガ自転車PACIFICHOTEL起業当時の私もそうでしたが、そうしたアイデアを携え、バックパックに図面を入れて、プレゼンにやってきて、何とか開発ステージに進めても、開発費の捻出、量産化の資金調達という大きな課題が持ち受けています。
大きな企業やパトロンが、バックについていて、潤沢な資金が用意できるケースはまれで、その多くは、何とか資金をかき集めて、夢の実現に挑むことになります。

そんな、多くのデザイナー達へのサポートとして、ジョージさんがPacific 社内にシェアーオフィススペースと、旧本社社屋の最上階に、ドミトリーを作ってくれました。

いい時間の流れる場所

タルタルーガ自転車PACIFICHOTEL「Pacific HOTEL」と呼ばれるようになる、このドミトリーには、「A」から「D」までの4つの個室があり、シャワールーム2つと、ウォシュレット完備のトイレが2ブース、共有スペースとしてリビングルームとバルコニーもあり、各部屋には有線LANのインターネット回線まで、引いてくれていて、実に機能的で、ありがたい施設でした。

タルタルーガ自転車PACIFICHOTELPacific 社で商品を作っているという共通項だけを持つ、様々な国からやって来た、全く見知らぬ者同士が、この「Pacific HOTEL」で、一定期間、共同生活のような物を送るわけです。
そのメンバーの一人だった私自身、多くの人々とここで出会い、結果、何人もの友人もできました。

Pacific 社のロケーションは、台北から西へ、車で一時間ほどの漁港に近い、小さな工業地帯にあるため、周りに娯楽施設的な場所は殆どありません。
週末には、近くの大きな街まで、皆で繰り出したりもしますが、滞在中は仕事が忙しい事もあり、殆どのメンバーが、夜10時位まで工場内のシェアーオフィスで仕事をして、それぞれの部屋に戻り一服した後、気の合う仲間が自然とバルコニーに集まり、各自持参したお酒を酌み交わしながら、自分が制作中の製品の問題点から、超プライベートな話まで、ありとあらゆる話題の会話を楽しみました。

タルタルーガ自転車PACIFICHOTEL夜11時なると、工場のセキュリティーの為、重いエントランスゲートが閉じられ、「ガッコーン」という、派手な金属音が辺りに轟き、誰からともなく、「アォーン」と、狼の遠吠えの様な叫び声が、あがったりしました。
閉じ込められた、「野獣」達は、その後も遅くまで、会話を楽しみました。

後に親友となる、r&mのデザイナーだったステイン・デフェルムや、Astrixの代表兼デザイナーのライアン・キャロルとの親交を含め、今の自分を構成する、多くのとても大切な部分が、この「Pacific HOTEL」で過ごした時間から、育まれています。