「Type FOLDING」誕生 その6 Pacific Cycles

「Type FOLDING」誕生 その6 Pacific Cycles

「え!あれを作っている工場なの?」

前日の、量産予定業者との打合せに、大きな不安を感じた私でしたが、翌日は、朝からPacific Cycles 社訪問でした。
滞在先の台北から、車で1時間程で、頂いていた名刺にあった、Pacific Cycles の住所に到着しました。
セキュリティーゲートで手続きを終えると、ちょうどジョージさんが迎えに出てきてくれ、「よく来たね。」との挨拶もそこそこに、そのまま社屋の奥の工場へ案内されました。
この時点で、Pacific Cycles という会社がどのような会社で、どういった商品を作っているのか、全く知らなかった私は、そこで驚くような光景を目にする事となります。
この企画をスタートさせてから、大手も含めて台湾の自転車メーカーを10社以上訪問して目にして来ていましたが、それらのどの工場とも異なる、とてつもないエネルギーの様な物を、先ず全身で感じました。
生産工場内で働いている全ての人が、活気よく仕事をしているのです。
当時のPacific Cycles の工場は決して新しくは無く、稼働を始めてから、かなりの時間がたっている様でしたが、掃除が隅々まで行き届いており、とてもスッキリとしています。
最も自分を驚かせたのは、birdy(当時の日本名は BD-1 )をはじめ、当時、自転車素人だった自分でも知っている様なブランドの商品の生産が、小さな工場内で効率よくテキパキと行われています。
「え!あれを作っている工場なの?」
お恥ずかしながら、その時初めて知る事となります。

「何なんだこの差は‼」

一通り、工場を案内してもらい、Pacific Cycles の生産工程の全てを見た後、本社内の会議室に通され、私からは、工場を見せてもらって感じた率直な感想と驚きをそのまま伝えました。
ジョージさんからは、私の感想へのお礼に続き、「昨日の量産工場との打合せは、上手くいきましたか?」との質問がきました。
そこで、私は車に乗っていた試作車両と試作図面を出して来て、前日と同じ質問をしてみました。
すると、ジョージさんから「それはトレールの問題ですね。トレールを最適化すれば、解決できますよ。」と、直ぐに解決策の回答が、間髪入れずに出てきました。
トレールの意味を知らなかった私は、「トレールって何ですか?」と質問すると、ジョージさんは手元の紙にサラサラと解説図を書き、解説をしてくれました。
「何なんだこの差は‼」と、心の中で大声で叫びました。
後から知ることになるのですが、Pacific Cycles の創業者ジョージ・リン氏は、「台湾自転車産業界の父」と呼ばれる程の人物でした。

量産工場を移るべきか?

そのレベルの差に圧倒されるも、前日の工場で既に量産に向けて様々な点で話が進んでいた為、今から量産工場を変更するのは、そうそう簡単な話ではありません。
工場訪問と問題解決の指南へのお礼を伝え、次の打合せの為、台中(台湾中部の都市、自転車関連工場の多くが集まっている。)へと向かいました。
台中には2泊して、パイプ工場や印刷工場などを訪問し、量産に向けた情報収集と技術的な打合せを続けました。
Pacific 社訪問から2日後の午後、台中の街を走行中の車中で、同行していた台湾の商社社長の携帯電話がなります。
「ヨシマツさんはまだ台湾に居ますか?」ジョージさんからでした。
台中での打合せを終え、夜には台北へ戻り、明日は日本へ帰国するというタイミングでした。
商社社長:「ハイ、明日の午後の便で帰国しますよ。」
ジョージさん:「よかった。是非見せたい物があるので、空港へ行く前に、もう一度Pacificへ寄ることはできますか?」
確認された私は、「大丈夫です。」と答え、急遽、帰国前に再度Pacific 社へ行くことになりました。

翌朝、予定より早めにホテルを出て、Pacific 社へ向かいました。

Pacific 社で見せられた3D CAD画像

到着すると直ぐに開発セクションに通され、ジョージさんから「これが、ヨシマツさんの解決策だよ。」と、一台のモニターを見せられました。
そこには、先日質問したトレールの問題は勿論、より生産がやり易くなるPacific 社からの提案が色々と盛り込まれた、ワイヤーフレームでできた3D CAD画像が、クルクルと回っていました。
前回の打合せから、たった3日しか経っていないのにです。
それを見た瞬間、帰国後いかなる困難があろうとも、量産工場を Pacific 社に変更しようと、硬く心の中で決意したのでした。

つづく