ナムコ 前編

ナムコ 前編

今回は、Tartaruga Entertainment Works の

基盤を育んだとも言える、前職「ナムコ」勤務時代のお話です。

遊びをクリエイトする

2006年に「バンダイ」と経営統合して、社名も変わってしまいましたが、私の在籍時代の「ナムコ」は、このキャッチコピーに象徴される、当時としては一風変わった企業でした。
自らを「超発想集団」と名乗り、入社試験で出題された4文字熟語の問題、「⬜肉⬜食」の⬜を埋めなさい。」の問いに、「焼肉定食」と回答して、正解扱いになった社員が居ると言う逸話(実話です。)が、私の入社時には有名でした。

ナムコ略史

タルタルーガナムコ銃砲店の御子息だった、「中村雅哉」氏が1955年に、中村製作所を設立し、横浜の百貨店の屋上に、2台の「木馬」(コインを投入すると、数分間前後に揺れる子供用ライド)を設置して、事業を開始します。
その後、 Nakamura Manufacturing Company の頭文字から「Namco」をブランド名として、光学投影技術を駆使したエレメカ機などの開発と販売で、アミューズメントマシン開発の土台を築きます。
1974年にアタリジャパンを買収して、ビデオゲーム機の開発に乗り出し、ギャラクシアンやパックマンの世界的なヒットで、アーケードゲームのブランドとして一気にメージャーな存在となり、その後のファミコン登場による家庭用ゲーム機の普及により、その地位を不動の物としました。

こう言った流れから、どうしても、ゲーム開発会社というイメージの強い「ナムコ」ですが、実は、ゲームセンター(直営店)の運営を始め、ロボットや福祉機器の開発等にも早くから取組み、マイクロマウス(自立型迷路脱出ロボットによる競技)のキャラクター「マッピー」のキット販売や、イベント用のロボットの開発、製造も積極的に行っていました。

入社

タルタルーガナムコ高校生の時、ロボットアニメのロボットのデザイナーになりたいと思い、おもちゃメーカーのデザイナーを目指し、東京にある「阿佐ヶ谷美術専門学校」に入学した私に、ひょんなきっかけから、「ナムコ」でのアルバイトの話が、学校を通してもたらされます。
当時ビデオゲームには、殆ど興味の無かった私でも、「パックマンや、ゼビウスを作った会社」と言う位の認識はありました。

アルバイトの面接を受け、仕事の内容を伺うと、ロボット関連のイベントを中心にした催事の企画や、新規事業の企画を行う「事業課」という部署での、スケッチ制作という、予想外の情報を聞き、「それは面白そうだ!」と、アルバイトを始めたのが、「ナムコ」との出会いでした。

当時の「事業課」は、社長室直轄で、他のどの部署にも属さずに、独自に収益を得る事業を探して行う部署で、「新規事業開拓」チームと、ナムコの所有していた催事用のオリジナルロボットを使った「ロボット博」などの催事を行う「催事」チームの2つに別れていました。
翌1986年、卒業と同時に入社して、バイト時代と同じ、「新規事業開拓」チームに配属となりました。
因みに、その時のチームリーダーが、後に「バンダイナムコホールディングス」の社長、会長職を長く歴任される、「石川祝男」氏(当時は係長)でした。

毎日が勝負

新規事業の開拓は、もちろん容易ではありませんでした。
私を含めて、係長以下6名のメンバーで、小さなプロジェクトを数多くこなす必要がありました。
長期的に攻めるクライアントもあれば、矢継ぎ早に様々な提案を続けて攻めるクライアントも有り、そのスタイルは様々で、入社仕立ての私は、先輩方のスピード感についていくのが精一杯で、往々にして足をひっぱっていたのではないかと思います。

午前中は、プロジェクト毎にブレストを行い、先輩方はワープロに向かって企画書を書き、その企画書に添付する、提案製品の完成予想図や、イベント会場のパース画を私が描き、カラーコピーをとって製本して、夕方集荷に来る宅配便の業者さんに渡す毎日で、「スケッチ、まだ上がんないの? 佐川さん来てるよ!」と、急き立てられる日々でした。

製本をなんとか終え、宅配便業者に引渡した途端、貧血にも似た感覚の中、「生きている」事を実感する、妙な充実感があった事を、今でも鮮明に覚えています。

タルタルーガナムコこうした先輩方の、努力の積み重ねにより、小型、中型合わせて、数体のアミューズメントロボット製作にも、携わることもできました。
また、有名企業の、とても大きなキャンペーンを受注して、部署として大きな収益を得た年もありましたが、私の入社した3年後に、残念ながら「事業課」は解散となってしまいます。

この「事業課」に在籍した3年間の中で、先輩方から「問題意識を持て。」と、常に言われ続けました。
当時は、その事が何を意味するのか、正直よくわからず、皆さんの期待に、なかなか添うことができませんでしたが、数年後に、「物事の背景にある、理由を考えて理解しろ。」ということなのではないかと思うに至り、世の中の見え方が一変した瞬間が有りました。
その時以降、今の私の物事の捉え方の基本が構築され、弊社の物作りにつながっている様に思います。

つづく