ナムコ 後編

ナムコ 後編

弊社の根幹を育んだとも言える、前職「ナムコ」勤務時代

のお話のつづきです。
入社後配属となり、3年間を過ごした「事業課」の解散が決まり、実質的に「社内浪人」となった私は、移動先の部署に関して、希望を聞かれます。
漠然と「ゲーム機の開発部署なんだろうな・・・」とは思いましたが、即答はせず、時間を少々いただき、自分なりに開発に配属となった同期などから、情報収集を行ってみました。

開発三部

当時の「ナムコ」の開発部門は、モニター画面上で遊ぶ「ビデオゲーム」の開発を行う「開発一部」と、「もぐらたたき」などの機械仕掛けのゲーム機(エレメカと呼ばれます。)の開発を行う「開発二部」とに別れていました。
勿論、当時の私もその事は理解していて、次の部署の希望を聞かれた時には、「どちらといえば、開発二部かな。」との考えを持っていました。

当時、競合企業の「セガ」社が、「ハングオン」という、ビデオゲームとエレメカ機を合わせた形の、いわゆる「体感ゲーム機」を市場投入して、大成功を収めた事で、「ナムコ」でも「体感ゲーム機」の開発を本格化するべく、開発一部と開発二部から精鋭メンバーを集め、「開発三部」を組織するというタイミングだという事を、情報収集の結果知り、「それは面白そうな部署だな!」と直感的に思い、「開発三部」への移動を希望し、運良く受理されます。
こうして改めて思えば、何というタイミングだったのでしょうね。

体感ゲーム機開発

「開発三部」には、プロダクトデザインを学んだ経歴から、「筐体」(人が乗り込む、ゲーム機のキャビネット)デザイン担当として配属になりました。

何より、私が戸惑ったのが、それまでの「その日が勝負」だった、仕事のスピード感に対して、試作を製作して見極めを行う、数ヶ月毎の区切りはあるものの、1年や物によっては1年半の期間を掛ける、ゲーム機開発のスケジュールとの違いでした。
「事業課」しか経験の無い自分には、企画書を受け取り、数枚のスケッチを描けば、「もう、出来ちゃったんですけど。」という感覚の中で、筐体デザイン決定までの数ヶ月の時間は、「これ以上、何をすればいいの?」という感覚で、大いに戸惑い、そこから私の様々な試行錯誤が始まりました。

プロジェクトチーム制

タルタルーガナムコ
開発過程で描いたイメージスケッチ
当時発売された、ゲーム画面を収録したLD(レーザーディスク)のライナーノーツに掲載されました。
タルタルーガナムコ開発三部には、企画、プログラム、デザイン(グラフィックとプロダクトの二班)、サウンド、機械設計、電気設計の各セクションがあり、ひとつの企画に対して、各セクションからメンバーが選出され、プロジェクトチームを組みます。
各メンバーは、担当となったプロジェクトに関しては、セクションの垣根を越えて、その企画をより良くするために、意見を言い合います。
私も、ゲームに染まっていない自分ならではの感性で、機械設計の構造や企画内容、プログラムによる挙動にいたるまで、あれこれ積極的に意見を述べました。
同時に、自分の述べる意見に説得力を持たせるために、色々な事を学ぶ必要もありました。

様々な世界の「リアル」をデザインする

通常、プロダクトデザインを学んだ学生は、卒業後、自動車メーカーに就職すれば自動車を、家電メーカーなら様々な家電をデザインし続ける事になります。
勿論、自動車や家電の中にも、スタイルやカテゴリーの違いがあり、その仕事内容には、様々な変化があると思います。

タルタルーガナムコただ、私が携わった「体感ゲーム機」のデザインでは、今回のプロジェクトでは「ジェット戦闘機」による「ドッグファイト」を、別のプロジェクトでは、F1レース、宇宙船での戦闘、ATVによるオフロードレース、ゴムボートによる激流くだりをと、プロジェクトごとに、全く異なる世界観を、モニターの中の映像では無く、実際に触れられる 操作装置を含む、量産可能な「筐体」としてまとめる仕事でした。

その為に、各ゲームの世界観を、体験できる場合は積極的に「プロジェクトチーム」で体験に行き、体験のなかなか難しいテーマの場合は、写真集やビデオなど、入手可能な情報をベースに、想像力を駆使して分析し、脳内補完しながら想像して、その世界の楽しさの「キー」となる要素を抽出して、効率的に再構築し、ゲームごとに大きく異なる各「世界観」に、プレイヤーをより引き込むために、限られた予算の中で、最大限の造形と演出を組み合わせ、「架空の世界」を「現実化」していきました。

ここまで、多くの異なるカテゴリーのプロダクトデザインを、「現物」として作り出す、量産タイプのデザインの仕事は、他に無いと思います。
また、立体物の形状デザインのみならず、「筐体」の側面に貼る巨大なステッカーのグラフィックや、時には製品の「ロゴデザイン」までが仕事範囲で、グラフィックを含めたプロダクトデザインというのも、ある意味特殊でしたが、私にとっては「天職」と言ってもいい程に面白く、やりがいのある物で、時間を忘れて没頭しました。

タルタルーガナムコ抽出した幾つかの「キー」となる要素を、バランスを取りながら組み合わせ、作り込んでいく事で、如何にお客様に「感覚」として認識させられるのかを、10数年の時間をかけ、実践の中で学んでいきました。
弊社「エモーショナルビークル」の根幹にもなっている、「感覚をデザインする。」という独特のスキルは、この「ナムコ」在籍時の、全ての仕事を通した経験と実践から、育まれました。