阿佐ヶ谷美術専門学校

阿佐ヶ谷美術専門学校

今回は、今までも何回かこちらのお話の中で登場した

「阿佐ヶ谷美術専門学校」について、お話しします。
現在も存続している学校ですが、自分が通ったのは40年近く前のため、在籍する講師をはじめ、現在のカリキュラムとは大きく異なるかとは思います。
また、手元に残った画像も少なく、40年近く前の記憶をたよりにしたお話になりますので、記憶違も多々あるかと思いますが、ご了承ください。

「阿佐ヶ谷美術専門学校」は、鹿児島県の、片田舎で生まれ育った私が、「デザインの基礎」を学んだ、東京都杉並区にある3年制の専門学校です。

漠然と「おもちゃのデザイナーになりたい」と夢見ていた当時の私は、在京の有名美術大学3校を受験しましたが、美大受験用の予備校(アトリエ)等に通うことも無く、独学のままの受験の結果、全て不合格、「さてどうしよう・・・」と、途方に暮れていた自分に、「専門学校だけど、いい学校があるよ。」と、高校の美術部顧問の先生から紹介されたのが、「阿佐ヶ谷美術専門学校」でした。

専門学校なのに、「入学試験がある」と聞き、「入試恐怖症」になりかけていた当時の自分には、相当のためらいもありましたが、何とか奮起し受験。
受験翌日には、学校の中庭にある掲示板に結果が張り出され、自分の名前を見つけ、めでたく入学することとなりました。

共通基礎学年(1年生)

当時でも珍しい3年制の専門学校で、一年生時は「共通基礎学年」と称し、A、B、Cと各クラス45名位、計135人程の学生が、デザイン概論、デッサン、平面構成、タイポグラフィー、立体造形、写真(撮影からフィルム現像、暗室での焼き付け作業まで)など、様々なジャンルのデザイン実技を学び、1年を掛けて自分の適性を見極めていきます。

美術大学と異なり、英語など「一般教養的」な学科の授業は全く無く、全て実践的な実技の授業のみです。
昼間の授業の他に、膨大な量の課題が出され、アパートに帰ってからも、徹夜でデッサンや、水彩画を仕上げなければならない日も、多々ありました。

タルタルーガ阿佐ヶ谷美術専門学校タルタルーガ阿佐ヶ谷美術専門学校一年の総括として、「共通プロジェクト」と呼ばれる、各授業を縦断したテーマを決め、多くの課題を提出する進級テストでは、私は「うさぎ」をテーマに、水彩画や木製の動くおもちゃを発表しました。

プロダクトデザイン科(二年生)

タルタルーガ阿佐ヶ谷美術専門学校一年時の課題の量がとにかく多く、2年生に進級できるのは、半分位の学生でした。
2年進級時に、「グラフィック系」か、「スペース系(プロダクトデザイン科とインテリアデザイン科がありました。)」かを選択するのですが、私は迷わず「プロダクトデザイン科」を選択。
超個性的な講師の元、定期授業として、図面基礎、色彩学、レンダリング(勿論3D CGではありません。当時、既にマーカーが主流の時代に、パステルを使った、レンダリングの技法を学びました。)などの授業の他に、月単位で大きな課題を与えられます。
この大きな課題が、他の学校でも話題になるほど、ともて個性的でした。
例を挙げると・・・

-たまご落とし

A1サイズのケント紙2枚を渡され、1か月後に校舎屋上から卵を入れて落とすので、このケント紙のみを使って、卵が割れないケースを考えて作れ!
実際に、屋上からの落下試験を行い、卵が割れなければ、合格!

-テント

テント用の生地を渡され、1か月後の梅雨の時期に、奥多摩のキャンプ場でキャンプを行うので、テントをデザインして制作しろ!
雨の中、皆でキャンプに行き、先生やOB達の居るバンガローに、一晩退避してこなければ合格!

-吊り橋

角材とタコ糸を渡され、吊り橋をデザインして模型を作れ、ただし接着材は使用禁止。
提出後の振動試験(講師が手で激しく揺すって振動させる)で、壊れなければ合格!

といった内容です。
例えば、「吊り橋」の課題では、組木の技術や、ロープの張り方、縛り方を調べる必要があり、インターネットなどない当時は、大きな書店や図書館へ行き、「ヨットのロープ術」を調べたりして、模型製作に活かしました。
デザインを「スケッチ」だけで終わらせるのではなく、「どうすればそれを作れるのか?」を実践を交えて徹底的に、学んだことになります。

プロダクトデザイン科(三年生)

三年生になると、同校OBで、当時の「キャノンのデザイン室長」が一年を通した担当講師となり、月単位で、各企業でデザイナーをされている、同校OBの方々が教壇に立ち、課題を出し、一カ月ごとにデザイン、モックアップ(模型)制作、プレゼンを行う、より実践的な授業でした。

プレゼンの度に、担当講師から、「その案に、誰がどういう理由でお金を出すんですか?」と、よく質問を受けました。
「夢も希望も無くなることを、言う人だな・・・」と、当時はそんな印象を持っていましたが、実際に就職して、デザイナーを職業としてみると、「全く、先生のおっしゃっていた通りですよ!」と、心底納得してしまう「事例」のオンパレードでした。

この商品には、とても重要な意味があると、誰より理解して信じている私自身が「出資」して制作しているのが、「弊社製品」とも言えますね!

入学して直ぐに、講師陣はもとより、事務関連の職員の皆さんにも、「おもちゃのデザイナーになりたいんです!」と言い続けた結果、「ナムコからのアルバイト募集」が掛かった際に、「吉松君、興味ある?」と真っ先に話を回していただき、その後につながる事となります。
とにもかくにも、今の私の「デザイン」に関する原点は、まぎれもなく、この学校で過ごした3年間から来ていると、改めて思います。