バイクデザイナーズ・ミーティング

バイクデザイナーズ・ミーティング

今回は、2004年に開催した

「バイクデザイナーズ ミーティング」というイベントに関するお話です。
2004年7月に「Vol.1」を開催、翌2005年3月に「Vol.2」、同年11月に「Vol.3」と、都合3回開催しました。

「なにか、おもろいこと一緒にやらへん?」

たまたま、お互い出展していた、2004年春の東京で開催された、自転車関連のとあるイベント会場で、久しぶりに再会した、「宿野輪天堂」の岡田さんと、長々と立ち話をしている中で、突然、彼の口からこの言葉が飛び出しました。
「いいね!」と、二つ返事で「なにかやろう!」ということが決まり、その日からメールや電話でのやり取りを重ね、具体化へ向けた話を開始しました。

当時、企業に属さずに、自転車の開発や販売を行っているデザイナーは少なく、そんな我々デザイナーから、何のしがらみにも影響受けない、ピュアな情報発信が直接できないものかとの結論に至り、同じような気持ちを持っているであろうと思われるメンバーを募り、展示会を行おうということになりました。

メンバー

タルタルーガ自転車バイクデザイナーズミーティング業界の情報にうとい私は、賛同しそうなメンバーの人選は岡田さんに完全にお任せ。
結果的に、「vikkino」を主宰しているコムカイさん、「スタジオスタディ」代表の篠塚さんの二名の参加が決まり、更なる具体化へ向けた打ち合わせを開始しました。
それぞれバックボーンも、考え方も異なる4人での意見調整は、一筋縄ではいきませんでしたが、全員での打合せを重ね、目指すべきイベントの骨格を固めていきました。

掛かる費用は、基本的にメンバー4人が、それぞれ同じ金額を供出。
決して潤沢とは言えない、ギリギリの資金でしたが、それでまかなえる範囲での開催としました。
また、打合せを重ねる中で、各メンバーの周辺の方々にも、ご協力を仰ぐ場面も増えていき、最終的には、「ボランティア」という形で、本当に多くの皆様のご協力のもと、何とか開催に至ることができました。

「バイクデザイナーズ・ミーティング Vol.1」

タルタルーガ自転車バイクデザイナーズミーティング2004年7月17日から22日までの6日間、東京都墨田区の貸倉庫一棟を会場にした「バイクデザイナーズ・ミーティング Vol.1」は、そんな我々の思いを、目一杯詰め込んだイベントとなりました。
各々が見せたい「自分の仕事」を、それぞれの手法で並べ、各ブランドのブースを横並びに設置し、メインの展示スペースとしました。

タルタルーガ自転車バイクデザイナーズミーティング
折り畳んだ状態の Type FOLDING が、チンクの後部座席に、収まっています。
タルタルーガ自転車バイクデザイナーズミーティングタルタルーガ自転車バイクデザイナーズミーティング週末と祝日を絡めた初日からの3日間は、「お祭りタイム」と位置づけ、それぞれのデザイナーが主催するブランドの「お客様」方を交えた、各種催しを開催。
皆で大いに盛り上がりました。
後半3日間は、「アカデミックタイム」と位置づけ、各デザイナー自らの解説付きで、展示品をしっかりと愛でていただく展示会や、各種雑誌の取材を受ける大真面目なイベントとしました。

「お祭りタイム」

タルタルーガ自転車バイクデザイナーズミーティング「お祭りタイム」のイベントとして用意したのは、

ゼロヨン・ドラッグレース

駐輪コンペ

合同オーナーズミーティング

妄想タイムカプセル

リカグラフ

など
タルタルーガ自転車バイクデザイナーズミーティング中でも、「ゼロヨン・ドラッグレース」は、このイベントのために、計測システムを含む、各種機材を手作りし、オリジナルのBGMまで制作。
そのかいあって、会場では想像以上の盛り上がりを見せました。

ちなみに、当時専用ドメインを取得して制作した、専用ホームページが、今でも残っていますので、ご興味のある方は、こちらをご確認ください。

「アカデミックタイム」

タルタルーガ自転車バイクデザイナーズミーティング当イベントの企画をしていく中で、「プレス」の方々にも積極的に取材に来て欲しいと考え、広報の経験はありませんでしたが「プレスリリース」を制作して、メディア関連の皆様にメールしたり、直接編集部へ出向き、取材へのお誘いを行ったりもしました。
そのかいあってか、期間中、数多くの雑誌の取材もいただき、のちに記事にしていただきました。

思い付きから始まった企画ではありましたが、ソーシャルメディア的なものも、それほど充実していなかった当時、純粋に「自分たちの仕事」を、より多くの方々に、直接観てもらいたいという思いは、いい意味で等身大のスケール感で実現できたように思います。

「世界中探しても、そんな事やっている連中はいないよ! 是非、オレもメンバーに入れてくれ!!」
Pacific HOTEL 滞在中に、後に正式メンバーとして参加することになる、当時 r&m 社のデザイナーだった ステイン・デフェルムに、このイベントの話をした時の彼の反応が、物語っています。